監査委員の付帯意見にまつわる「作られた」波紋
住民監査請求の「監査結果書・付帯意見」についての波紋。
同一の情報発信源(議会内外をまたぐタイアップ・グループ)の「揚げ足とり」には、異議を唱えずにいられなくなります。今回も。
9月2日公表の監査結果書に記載された付帯意見
「新庁舎等基本設計等の事業費の予算は違法又は不当であるから、鎌倉市長はこれを執行してはならない」という住民監査請求 2件に対し、鎌倉市監査委員(代表監査委員と議選の監査委員の2名)は9月2日付で「基本設計等予算の執行は、違法又は不当ということはできず、基本設計等予算の執行の差止め及び執行停止の勧告を求める請求人の主張は認めることはできない。」という請求棄却の監査結果を出しました。
その監査結果書の末尾の「付帯意見」を問題視する声があがりましたが、私はその問題指摘は、「誤読」に基づくと考えます。
付帯意見は次のようなものです(前段は新庁舎整備の経緯なので省略し、中段以下を抜粋)。
このように時間と労力をかけて目指してきたまちづくりは、本庁舎移転を含む深沢 地区のまちづくりと鎌倉地区の市役所現在地の利活用の構想が、真に市民の安全と市 の将来像を見据えた政策の柱であるとの信念から、松尾市長自らが選挙公約とし、取り組んできた政策にほかならないはずである。であるならば、松尾市長は、この政策を途中で投げ出すことなく不退転の覚悟で政治責任を全うするという姿勢を具体的に示し、課題に取り組むべきだと考える。
そして、市民から違法又は不当などと疑念を抱かれるような事業の進め方や、市民や議会を二分する政策論争に発展してしまうような進め方はこれを改め、市民の共通課題の解決を図るためのマイルストーン(行程)を明示し、松尾市長自らが先頭に立ってその手法や政策について市民との対話や議論を重ねることにより、事態の打開に 向けた一層の努力を望むものである。 住民監査請求の審査に当たり、違法又は不当な支出の判断にとどまらず、このことを付帯意見として申し添える。
9月6日の新聞報道に「政治介入」「支持表明」の文字が!
9月5日の本会議での他の議員の一般質問の折、私の議席に近い最古参の議員が「何しろ不退転の覚悟って言ってんだからな」と野次のような独り言のようなことを大声で愉快そうに言っていましたが、何のことかわかりませんでした。
野次の意味は、翌日の朝刊1紙に ≪ 鎌倉市役所移転計画 監査委が「政治介入」 「不退転で全うすべき」≫ という大きな見出しが躍っているのを見てわかりました。
記事のリード部には、「政治的中立が求められる監査委員による庁舎移転の‘’支持表明“”とも読み取れる記述に市側も困惑し、反対派市議も「監査委の政治介入」と反発し波紋が広がっている。」とありました。
付帯意見は「監査委員は違法又は不当な支出かどうかだけを判断したのであって、その後に無駄遣いだったと言われるかどうかは、ひとえに市長の姿勢にかかっていますよ」と言っているに等しい
私は「支持表明」とは全く逆に受けとめました。
失礼な言い方で恐縮ですが、監査委員は、将来的に事態がどう動くかわからないことに備えて自らに火の粉が降りかからないよう言い添えたのだと思います。市議になる前に何度も住民監査請求に取組んだことがあり、請求棄却の監査結果の付帯意見には、請求人の意図を汲み取った首長等への注文だけでなく、そうした配慮がにじみ出ることがあると認識しています。
本件付帯意見の趣旨を枝葉を刈り取ってリライトすると
「(新庁舎の整備が)市長自らが選挙公約として取り組んできた政策にほかならないのであるならば、市長は、この政策を途中で投げ出すことなく政治責任を全うすべきであり、市民から違法又は不当などと疑念を抱かれるような事業の進め方や、市民や議会を二分するような進め方を改め、市長自らが先頭に立って市民との対話や議論を重ねることにより、事態の打開に向けた一層の努力を望む」
ということになります。
最後の1文、「住民監査請求の審査に当たり、違法又は不当な支出の判断にとどまらず、このことを付帯意見として申し添える」も重要です。
要するに監査委員は、「私たちは、監査のセオリー通りに法解釈や判例に照らして違法または不当な支出に当たらないと判断した。市長が自らの政策を白紙撤回などして途中で投げ出すようなことがあれば、基本設計のための支出は無駄になり、違法又は不当な支出の誹りを免れないことになるが、それは監査委員があずかり知ることではない」と言っているわけです。
住民監査請求の請求人から受付期限を過ぎて出された陳情
朝刊に上述の記事が載った9月6日の午後、9月議会で審査を行うための受付期限の9月3日(開会日の前日)を過ぎて提出された3件の陳情について「受付期限を過ぎているが、緊急性があるとして9月議会で取り扱うかどうか」を協議する議会運営委員会が開催されました。
その3件の陳情の一つが「鎌倉市監査委員の中立性についてその姿勢が適正か否かの検証を求める陳情」で、陳情提出者は本件住民監査請求の請求人(※)です。
陳情の要旨は「(付帯意見は)市長の政策実現の行動を後押しする趣旨の記述であり、本来市側と住民の間に中立的な立場に立ち監査に臨むべき監査委員が、市長の側に立った監査をおこなった事実を示している。(略)鎌倉市議会として本件の記述が地方自治法の規定に抵触するかの検証をおこない、選任した委員の資質が適正であるかどうかの調査を求める」
というものです。
(※陳情提出者が住民監査請求の請求人であることは、付帯意見について考察する本稿においては触れる必要はなさそうにも見えますが、陳情書には、付帯意見の記述内容が「監査委員が、市長の側に立った監査をおこなった事実を示している」とまで書かれているので、触れざるを得ません。
陳情の取扱いをめぐる議運でのやり取り
鎌倉市議会には、9項目からなる「陳情配付基準」があり、これに該当する場合は、議会運営委員会での協議の上、委員会に審査付託をせず、全議員配付の取り扱いとすることになっています。9項目の1つが、「5 係争中の裁判や異議申し立て等に関するもの」です。
その裁判に関しては、住民監査請求で請求棄却または却下の判断を下された請求人は、通知から30日以内において住民訴訟にうったえることができます(逆に言うと住民訴訟は、住民監査請求を行ってその結果を待たなければ提起できません。いわゆる「監査請求前置主義」です)。
議会運営員会では、委員長が、「本陳情は受付期限を過ぎて出されたもので、緊急性はないと認め12月議会で扱うことでよいか」と委員に諮りました。
これに対し私が述べた意見は、
■この陳情は、陳情配付基準「5 係争中の裁判や異議申し立て等に関するもの」に該当するので委員会付託せずに議員配付とすべきである。係争中ではないが、住民訴訟に発展する蓋然性が極めて高いのであるから、基準を準用するのは妥当だ。
■12月議会で取り扱えば、既に住民訴訟は提起されているはずで、当然に配付基準5が適用されるのであるから、この時点で議員配付を決める必要はないという考え方はあるかもしれない。
■しかし、今この場で議員配付とした方がよいと考えるのは、本陳情が見当違いの解釈(「誤読」とは言わず「見当違いの解釈」と述べた)にもとづくものであり、その意味で持ちこすのはよくないと考えるからである。この陳情の主張に沿った新聞記事も書かれており、そこに「政治介入」という言葉すらあることを思うと、同様の記事(「誤読」した情報発信元の発信内容に沿った記事)が今後も出るかもしれないからだ。
―というものです。
私の意見に対し、
「蓋然性が高いと言っても係争中ではないのだから、配付基準5で議員配付と言う訳にはいかない。緊急性はあり、総務常任委員会に付託すべき(緊急性の理由には特に言及せず)」「自分はどの陳情も委員会付託すべきと考えるので本陳情も付託すべき(緊急性ありの理由には言及せず)」という委員が2名、
「委員会での審査になじまない」という理由で議員配付とすべきとした委員が1人いました。
結局多数が「緊急性なし。12月議会で取り扱う」ということでまとまり、そのようになりました。
私の発言には、12月議会の議会運営委員会では、全く中身に踏み込むことなく陳情配付基準5該当で議員配付になるので、中身についてコメントしておきたいという意図もありました。
9月7日にまたもや新聞報道(市長は今回はまともなコメント)
さてさて、それでどうなったかと言いますと、先の記事を掲載した新聞社が議会運営委員会の翌日7日に続編にあたる記事を掲載しました。
記者は市長に取材したとのことで、記事の見出しは ≪ 監査委員罷免を否定 市役所移転をめぐり 鎌倉市長『厳しい指摘』≫ となっていました。
記者は、監査委員が罷免にあたいすると本当に考えて、市長に質問したのでしょう。それには驚かざるを得ませんが、見解の相違なので仕方がありません。
市長は、「(付帯意見は)監査委員として逸脱したものではない」とし「趣旨は私に対する厳しい指摘と受けとめている」と答えたそうです。
まさにその通りで、付帯意見は「政治介入」でも「支持表明」でもなく、松尾市長に対する厳しい指摘なのです。私が前段で「全く逆」と書いたのも、同じことを言っています。
最初に取材を受けた時に市長は「困惑した様子」など見せず、襟を正して「付帯意見は、私に対する厳しい指摘です」と言うべきでした。本当にそうなのですから!
ところで、まだこの件には続きがあります。
6日の議会運営員会での私の発言が暴言(それも新聞記事への言及が暴言?!)だという噂(一方的な決めつけ?)がSNSで拡散されているらしいです。
タイアップ・グループはSNSを駆使しているようですが、私は見ないので、あまり気にせず、自分でコツコツ発信するだけです。
それにしても「市長の介入」(23年6月議会)とか、今回の「政治介入」とか、「介入」という言葉を使うのが好きなんですね。