「これからの時代にふさわしい」市民のための拠点

市議会議員の任期末の5月14日まで残すところわずかになりました。このサイトは今後4年間は閲覧できるように残しますが、記事の更新は本記事をもって最後となる予定です。

最後に取り上げたいのは、「市民が主役のまちづくり」の拠点となる施設の整備についてです。「拠点はハードの施設に限らない。オンライン上のプラットフォームこそ、これからの市民参加の拠点なのだ」という意見もありそうです。確かにオンライン上のプラットフォームあってよいと思いますが、人々が集い、出会って、学び、活動を共にし、そこから新しいものを生み出すリアルな「場」である拠点は、やはり必要です。

同じ関心や価値観をもった人同士の情報のやり取りが行われるSNSにどっぷり浸かった生活を送る人が増え、「参加」についても、SNSから派生した歪んだ「参加」(例えば、キャッチ―な政策アピールへの熱狂的支持、根拠のない誹謗中傷の拡散)が顕著に見られるようになった今日だからこそ、リアルな「場」(ハードの施設)の必要性は高まっています。
デジタル情報とSNS情報の海の中で、体系的な知識、根拠・出典が明らかな情報、関心が向いていなかった分野の情報と出会える図書館の収蔵本は、さながら羅針盤のようであり、図書館の今日的な意義もまた大きくなっています。

せんだいメディアテーク ~ ここへ来ると、仙台でいま何がおこっているのかがわかる
4月16日付の朝日新聞に哲学者の鷲田清一さんが「せんだいメディアテーク」の館長を3月末で退かれ、日本文学者のロバート  キャンベルさんが新館長に就任したという記事が載っていました。

せんだいメディアテーク(仙台市青葉区)

せんだいメディアテークについては、本サイトの2013年5月9日の記事で次のように紹介しています。
中心となる施設は2~4階を占める仙台市民図書館ですが、施設の名称のとおり、「美術や映像文化の活動拠点であると同時に、人々がさまざまなメディアを通じて自由に情報のやりとりを行ない使いこなせるようにお手伝いする公共施設」(同館HP抜粋)です。
同館は、震災後間もなく、市民の手で震災と復興を記録し、発信・保存する「3がつ11にちを忘れないためにセンター」を開設しており、収集した映像は同センターのホームページでも見られます。(中略)
(メディアテーク設計者の)伊東豊雄さんは、同館が震災後に再開した時のイベントで「ここへ来ると、仙台でいま何が起こっているのかがわかる。言ってみればここが、文化のサロンというか、仙台市民の方にとってのリビングルームのようなものだと。そういう場所こそ、このような震災に遭ったときに大きな役割を果たし得るのではないか。」と話しています。
引用終わり≫

せんだいメディアテーク「3がつ11にちを忘れないためにセンター」定点観測写真(同館HPより)

鷲田清一さんは、東日本大震災で被災したメディアテークの再開時のイベント「歩きだすために」で行った2011年5月4日の講演が縁となり、2013年4月に初の民間人館長に就任しました。以来12年間館長を務められ、今年3月23日の退任記念の講演で、メディアテークを「世界最高の公民館」と呼ばれたそうです。この時壇上に招かれたロバート キャンベルさんは、「多様性や機会の均等性に対して逆風が吹き荒れる世界の中で、一人一人の価値や学び、遊び、そしてこれからの時代にふさわしい形を新館長として作っていきたい。」と抱負を語られました。

鎌倉にも多様な市民の活動が生き生きと展開する場所を!
せんだいメディアテークのことを長々と紹介したのは、市民の拠点の具体的なモデルだと常々考えているからです。

「ここへ来ると、鎌倉でいま何が起こっているのかがわかる」という場所が鎌倉にあったら素晴らしいと思いませんか?

私が新庁舎を深沢に整備することが鎌倉市全体のまちづくりの視点から望ましいと考える大きな理由は、市役所を移転することで、御成町の現在地に、せんだいメディアテークのような「人々が集い、出会って、学び、活動を共にし、そこから新しいものを生み出す市民の拠点」をつくることが可能になることです。
「まだまだ使える」などと言って、地震で部分崩壊するリスクがあり、狭くて業務に支障が来たし、来庁者のためのスペースが不十分でも、現庁舎をあと25年間使い続けることは、単なる「先延ばし」であって、何ひとつ新しい価値を生み出しません。そればかりか、まちづくりの可能性を潰すものです。

先延ばしの市政ではなく、将来に期待を感じられる市政であってほしいです。ロバート キャンベルさんが言う「これからの時代にふさわしい形」をみんなで考えていきたいと思うのです。