安全保障、原発…一人ひとりが当事者として問われる
安全保障法制の与党合意はスピード決着
昨年7月の閣議決定で安倍政権は歴代内閣の憲法解釈を変更し、集団的自衛権の行使容認に踏み切りました。この時首相が示した行使の具体例は、現実的にはありえなかったり、集団的自衛権行使を振りかざす必要性が認められない状況設定ばかりでした。その後、小選挙区で戦後最低の投票率となった12月の衆院選では、集団的自衛権や安全保障の争点化を回避して議席数の維持をはかりました。
そして、3月20日、自民・公明の与党協議において、新たな安全法制の基本方針が正式合意に達しました。基本方針は、少人数の与党議員により1ヶ月余の短期間で作られたものですが、急いだ理由には、安倍首相の訪米日程があるとのことです。これを踏まえ、安全保障関連法案の今国会中の成立を目指す、と首相は明言しています。「日本の存立が脅かされる」といった一定の要件に合致すると判断されれば、他国への武力攻撃に対して自衛隊が武力で反撃を行えるようにする法案が会期末に成立する可能性が強まってきました。
「フタバ」の普遍性
この与党協議の結果が報道された3月21日、鎌倉市内で「フタバから遠く離れて第2部」の上映会がありました。福島第一原発事故により避難を強いられている双葉町の人々を追ったドキュメンタリー映画の第2弾です。
上映会終了後、舩橋淳監督の講演を聞きました。原発立地の小さな町と人々だけを切り取って描いたのは、そこに逆に普遍性を見出してくれる、見る人の感受性を信じたからだ、と語る舩橋監督のお話は、様々な示唆に富んだものでしたが、その中で、選挙について話されていたことも、印象的でした。
個人の思いが有権者としての行動に反映されない状況を乗り越えなくては!
過半数を優に上回る国民が福島第一原発事故以来一貫して脱原発を支持しているのに、その後の選挙においては、原発依存に突き進む政権与党が勝利してきました。福島においてすら、その状況は変わりません。脱原発という民意が選挙結果に反映しないのは何故か?小選挙区制の制度的欠陥ということもありますが、舩橋監督は、深いところから「問い」を発しているように思いました。個人としての思いが、有権者としての行動につながらず、有権者としての行動は、実利(とその時思われたこと)によって左右されがちであること。しかし、選挙の結果は、個人が好むと好まざるとにかかわらず、その後の日本の、社会のありようを決定づけます。安全保障しかり、原発問題しかり。