仙台市荒浜の「多重防御」
5月7日は、仙台市若林区の荒浜へ。荒浜は、七北田川と名取川を結ぶ10㎞の貞山堀(運河)を中心に形成された半農半漁のまちでしたが、東日本大震災では186人が亡くなり、仙台市災害危険区域条例により災害危険区域に指定されました。宅地については集団移転促進事業が進められ、跡地には震災遺構、地域モニュメントの整備が計画されているそうです。
昨年12月に開業した市営地下鉄東西線を東端の荒井駅で下車し、1時間に1本の路線バスで20分ほど行った終点の長沼で降りると、その先一帯が荒浜地区。後ろを振り返ると、震災時に避難高台の役目を果たした仙台東部道路の向こうに被災を免れた街並みが見えますが、海に向かっては震災遺構に指定された荒浜小学校と工事のための仮設のプレハブ小屋を除いて建物がない土地が広がっています。翌日の5月8日には市民協働プロジェクトによる荒浜スタディツアーが予定されているようでしたが、この日は、曇天の下、草むらからしきりに鳥のさえずりが聞こえてくる以外は、ひっそりとした荒浜でした。
貞山堀を渡って海岸堤防へと向かいました。
震災後、国土交通省は、津波防災地域づくり(「多重防御」)を掲げて法制化も進めました。「仙台湾南部沿岸では、津波に対する防災・減災 に向けて “海岸堤防や嵩上げ道路等のハード対策”と“避難を中心としたソフト対策” を組み合わせて「減災」を目指す『多重防御』の取り組みを地域一丸となって進めてい」るとのことです。http://www.thr.mlit.go.jp/bumon/kisya/kisyah/images/59757_1.pdf (2016.2.26 東北地方整備局 記者発表資料)
今回は、そのハード面の現場を目にすることになりました。
今年3月初めに完成式が行われた「粘り強い海岸堤防」(全長約26km。津波が越流しても全壊に至るまでの時間が長いように横断面が台形)、堤防の内側の土地を横切る工事中の「かさ上げ道路」、造成中の「津波避難の丘」…。前日訪れた石巻市でも同様の工事が進められていましたし、確かに「多重防御」の名称のとおりです。
しかし、建物がほとんど流され、住民が住み慣れた土地からの集団移転を余儀なくされて広大な空地となった土地での多重防御策と、今後において津波浸水被害が想定される鎌倉市のような沿岸地域での多重防御策とでは全く違うのは明らか。
津波防災地域づくり…。進行中の現場を見て課題の複雑さを様々に感じました。