自衛隊員募集のための名簿提供を個人情報保護から考える
自衛隊員募集のための自治体の協力とは?
2019年2月の衆院予算委員会で、安倍首相(当時)は自衛官の募集について「6割以上の自治体が協力を拒否している。誠に残念だ」と述べました。
自衛隊法97条1項は「都道府県知事及び市町村長は、政令で定めるところにより、自衛官及び自衛官候補生の募集に関する事務の一部を行う」と規定しており、2017年度の時点で、1,741自治体のうち▽53%にあたる931自治体が、自衛隊が住民基本台帳を閲覧して募集対象の18歳および22歳の住民の情報を書き写すことを認め、▽36%の632自治体が対象者の情報を登載した名簿を紙媒体または電子媒体で提供していました。
両方を合わせれば約9割の自治体が「協力」をしていたわけですが、名簿提供自治体が3割強であることを元首相は問題にしたのでした。
元首相の国会答弁が伏線となり、2021年2月5日、防衛省・総務省は
「募集対象者の氏名・生年月日・性別・住所の個人4情報の提供については、自衛隊法第97条第1項及び同法施行令第120条に基づき、防衛大臣が市区町村長に対し求めることができ、住民基本台帳法上、特段の問題は生じない」
と通知(以下、「両省通知」と略)しました。
これ以降、募集対象者の個人情報を紙媒体や電子媒体、宛名シールによって自衛隊に提供(以下、「名簿提供」と略)する自治体が増え、2022年には全体の6割に達しました。両省通知は、「個人4情報の提供について防衛大臣は市区町村長に求めることができる」と言っているに過ぎないにも係わらず…です。
鎌倉市では、自衛隊による住基台帳の閲覧・書き写しを認めていますが、両省通知後も名簿提供は行っていません。
先の6月定例会では、自民党の議員が一般質問でこのことを取上げ、募集対象者の個人情報の紙媒体または電子媒体での提供依頼に応えるように求めました。
自衛隊法97条1項および同法施行令120条は何を意味する?
多くの自治体が自衛隊員募集協力で名簿提供に転じた背景には、両省通知があり、さらに2023年4月に改正個人情報保護法が施行されたことの影響があります。
まずは、個人情報保護法改正以前において、両省通知がどのような受けとめられ方をしたのかを見ていきたいと思います。
両省通知にある「自衛隊法第97条第1項及び同法施行令第120条」は、次のような条文です。
自衛隊法第97条1項
都道府県知事及び市町村長は、政令で定めるところにより、自衛官及び自衛官候補生の募集に関する事務の一部を行う。
自衛隊法施行令
(報告又は資料の提出)
120条 防衛大臣は、自衛官又は自衛官候補生の募集に関し必要があると認めるときは、都道府県知事又は市町村長に対し、必要な報告又は資料の提出を求めることができる。
改正個人情報保護法の施行以前に各自治体が運用していた個人情報保護条例は、当該自治体が保有する個人情報を外部の機関に「提供してはならない」とした上で、「ただし、次の各号のいずれかに該当するときはこの限りではない」と除外規定を設けるものでした。
自衛隊への名簿提供に転じた市区町村のほとんどは、それら各号のうちの「法令等に定めがあるとき」と「公益上の必要」を提供の根拠と捉えたようです。
しかし、そのように捉えなかった自治体もあった訳で、さらに言えば、国による「通知」は技術的助言に過ぎず、自治体に従う義務はないので、対応を変えない自治体があったのは当然です。
また、両省通知を受けて自らの情報公開・個人情報保護運営審議会等に対応を諮問した自治体もありました。
以下、四日市市情報公開・個人情報保護審査会の答申(2022年4月27日)等をもとに、「法令等に定めがあるとき」と「公益上の必要」の2つの提供の根拠が薄弱であったことについて述べます。
①「法令等に定めがあるとき」に該当しない
ア)「法令等に定めがあるとき」 とは、例として災害対策基本法49条の11が、1項で市町村長は個人情報につき内部の目的外利用ができる旨を、2項で「災害の発生に備え、避難支援等の実施に必要な限度で、地域防災計画の定めるところにより」外部の諸機関に名簿情報を提供するものとする旨を、3項で特に必要があると認める時は「本人の同意を得ることを要しない」で名簿情報を提供できる旨を定めていることがあげられます。
すなわち、行政機関が保有する当該情報を目的外に提供することができると定める法令があることを指しています。
これに対し、自衛隊法施行令120条は、資料提供の協力を求める防衛大臣の権限を定めるのみで、個人情報を保有する市区町村の長の権限を定めておらず、「法令に基づく場合」に該当するとは言えません。
イ)自衛隊法97条1項は、自衛官の募集に関する事務の一部を都道府県及び市町村の事務として位置づけ、その具体的な内容は、同法施行令114~119条(募集期間の告示/応募資格の調査及び受験票の交付/応募資格の調査の委嘱/試験期日及び試験場の告示等/海自・空自の自衛官等募集事務/広報宣伝)に定められています。
これ続く120条の「防衛大臣は…必要な報告又は資料の提出を求めることができる」は、自衛隊の募集に係る法定受託事務が円滑に行われているかどうかを確認する目的で定められたと解釈するのが順当です。
また、法97条1項に個人情報の提供に関する定めがないことからも、施行令120条が個人情報の提供を予定しているとは考えられず、120条中の「資料」に自衛官募集に用いる氏名等の個人情報が含まれると解釈することは困難です。
➁「公益上の必要」は提供の根拠ではない
「保有する個人情報を外部の機関に提供してはならない」という規定が適用されない根拠としての「公益上の必要」とは、あくまで実施機関が保有する個人情報を提供することに公益性があるのかどうかを問題にするものであって、これを自衛隊の募集事務の公益性と同一視するのは誤りです。
個人情報の提供に公益性があるとは言えず、むしろ個人情報の提供が、当該個人の「他人に知られたくない」権利を脅かすという恐れを見落すべきではありません。
個人情報保護法改正後に個人情報保護委員会が示した「見解」
次に、個人情報保護法改正(2021年5月公布、23年4月施行)の後の話です。
個人情報保護法の改正で、それまで国の行政機関・独立行政法人・民間事業者・地方公共団体(自治体) において別々の法律や条例により運用されてきた個人情報の取扱いが個人情報保護法によって運用され、国の機関である個人情報保護委員会が全体を所管することとなりました(末尾の図表 参照)。目的外の利用や提供といった個人情報の取扱いについても自治体が独自の判断を行う余地がなくなってしまいました。
それでどういうことが起こっているのかと言うと、自衛隊員募集対象者の名簿提供に転じた政令市・一般市のホームページには、次のような説明が載っています!
既に ①ア)、イ)において「自衛隊法施行令120条は『法令等の定めがあるとき』に該当しない」と述べましたが、国の個人情報保護委員会(以下、個情委)は同条に「法令に基づく場合に該当する」というお墨付きを与えたのです。
個情委の「見解」の根拠は?
当然、「法令等の定めがあるとき」に該当するという見解の根拠が知りたくなりますが、「見解が個情委から示された」と金科玉条のように掲げた自治体のHPにも、個情委のHPにも見解の根拠(解説)らしきものは見当たりませんでした。
かろうじて、個情委のHP掲載の『個人情報の保護に関する法律についてのガイドライン(行政機関等編)』の中に次のような記載がありました(p29)。
5‐5‐1 利用目的以外の目的のための利用及び提供の禁止の原則
行政機関の長等は、「法令に基づく場合」を除き、利用目的以外の目的のため に保有個人情報を自ら利用し、又は提供してはならない(法第69条第1項)。
「法令に基づく場合」とは、法令に基づく情報の利用又は提供が義務付けられている場合のみならず、法令に情報の利用又は提供の根拠規定がおかれている場合も含むと解されるが、他方で、具体的な情報の利用又は提供に着目せず行政機関等の包括的な権能を定めている規定がある場合に当該規定のみに基づいて行う個人情報の取扱いは、「法令に基づく場合」には当たらない。 (中略)
なお、法第69条第1項は、他の法令に基づく場合は、利用目的以外の目的のための利用及び提供をし得るとするものであり、同項の規定により利用及び提供が義務付けられるものではない。 実際に利用及び提供することの適否については、それぞれの法令の趣旨に沿って適切に判断しなければならない。
上記抜粋の下線部分が、①ア)の論点を打ち消して、「施行令120条は、個人情報を保有する市区町村の長の情報提供の権限や義務を定めたものではないが、防衛大臣の『できる規定』になっているだけで『法令に基づく場合』に該当するのだ」としていると推察されます。一方、①イ)の論点については、ガイドラインは個別に踏み込むことをしていません。
「法令に情報の利用又は提供の根拠規定がおかれている場合も含むと解される」という記述にしても、解される理由や根拠となるような比較材料(例えば、①アの災害対策基本法)には触れていません。
また、自治体ホームページには、個情委の見解の紹介の後に「募集対象者情報を提供することは、本人の同意は必要とされていません。」と書かれていますが、「個人情報の提供が許容される=本人同意は必要とされない」という解釈がどこから導き出されるのかは、さらに不可解です。
しかし、「見解」についての説明がなく、内容的に不十分かつ不可解だとしても、現行の個人情報保護法の建て付けでは「個情委がそうだと言ったらそうなのだ」ということがまかり通ってしまうのです。
では、自治体は名簿提供をしなくてはならないのか?
ここまで見てきたことを整理すると、次のような結論が導き出されます。
① 両省通知は、「募集対象者の個人4情報の提供については、自衛隊法第97条第1項及び同法施行令第120条の規定に基づき、防衛大臣が市区町村の長に対し求めることができ」るとしたものであって、個情委が「自衛隊法施行令第120条に基づく募集対象者の個人情報の提供は、同法第69条第1項の『法令に基づく場合』に該当する」という主客を転倒させた見解を示しても、結局は防衛大臣は提供を求めることができ、市町村は提供できると言っているに過ぎない。
➁ 個情委による『ガイドライン(行政機関等編)』5-5-1抜粋の後段の「なお、法第69条第1項は、他の法令に基づく場合は、利用目的以外の目的のための利用及び提供をし得るとするものであり、同項の規定により利用及び提供が義務付けられるものではない。実際に利用及び提供することの適否については、それぞれの法令の趣旨に沿って適切に判断しなければならない。」という教示こそが重要である。
③ 法69条1項が利用目的以外の提供を義務づけるものではないことに加え、両省通知・法97条1項・施行令120条のいずれも個人4情報の提供の具体的な方法について示しているものではなく、両省通知および改正個人情報保護法の施行をもって、募集対象者に係る個人情報を住民基本台帳から抽出した名簿を紙媒体・電子媒体あるいは宛名シールによって提供しなければならないと考えるのは不合理である。
市長宛に要望書を提出
以上のように、市町村は自衛隊に対し、募集対象者の個人情報の名簿を提供しなければならないわけではありません。
神奈川ネットワーク運動・鎌倉(ネット)は、鎌倉市が今後においても自衛隊への名簿提供を行わないことを求める要望書(ほぼ上記に沿った内容)を7月2日に松尾市長に提出しました。
要望書は、主に個人情報の取扱いの問題として名簿提供を行わないことを求めたものですが、▽名簿提供が「できる」とされても提供には慎重であるべきこと、および▽情報提供を望まない人は拒否できるとする「除外申請制度」を設ければ名簿提供をしてもよいと考えるのは本末転倒であるということ の論証として、奈良市の高校生が今年3月末に奈良市と国を相手取って提起した国家賠償請求訴訟における原告の主張を提示しました。
原告の高校生は、奈良市役所が個人4情報を含んだ名簿を自衛隊に提供し、自衛隊が高校生の住所に自衛官募集の案内を郵便はがきで送った行為は、プライバシー権を保障した憲法13条や個人情報保護法などに違反しているとし、また除外申請制度については、「通知が極めて不十分」であることや、除外制度の利用が憲法19条が保障する思想・良心の自由を侵害するおそれがあるという主張を展開しています。
鎌倉市は、このような訴訟が提起されていることにも十分留意すべきです。
個人情報保護制度と地方自治
自衛隊への名簿提供を求める声が強まる背景には、自衛隊員を募集しても定員に達しない志願者減少と早期退職の実態があります。
一般論としては、人手不足の蔓延で他の業種がいくらでも人材の受け皿になっている状況がありますが、それだけではありません。
専守防衛が形骸化するなかで、自衛隊員が戦地に赴いて戦闘に参加する可能性がかつてないほど高まっていること、さらには毎年多数の自殺者が出ている原因としてハラスメントの存在が指摘される組織体制の問題が、志願者減少に大きく関わっているのは否定できません。これらを不問にして、隊員募集への自治体の協力が足りないという話に持って行くのは、おかしいと思います。
ネットは「自衛隊への名簿提供を行わないことを求める要望書」と同時に、「放課後かまくらっ子で自衛隊体験プログラムが実施されたことは不適切であるから同様のプログラムを再び実施することがないように求める要望書」を市長に提出しました(※ネット鎌倉のHPに報告記事を掲載)。
「ネットが突然自衛隊批判を始めた?!」と思われるかもしれませんが、それは違います。6月議会の会期中に自衛隊をめぐる2つの案件が明らかになったので、それぞれに対応した結果が2件の要望書の提出です。
本件(自衛隊への名簿提供の適否問題)については、文献などを調べれば調べるほど、個人情報保護法改正によって自治体が個人情報保護に関して思考停止に陥っている憂慮すべき状況が実感されました。まさに地方自治の後退です。その意味で、本件は6月議会最終日に可決した「地方自治法の改正に抗議し、国と自治体とが対等協力の関係であることを確認する決議」(※※)と同じ問題意識に基づいています。
※放課後かまくらっ子での自衛隊体験プログラムの実施は不適切~市長宛要望書を提出 | 神奈川ネットワーク運動・鎌倉 (kanagawanet.jp)
※※鎌倉市議会 6月議会決議 gian.pdf (city.kamakura.kanagawa.jp)