高浜原発の運転を禁じる仮処分決定

 414日、福井地裁は関西電力に対し、高浜原発3・4号機の運転差止めを命じる仮処分決定を出しました。決定を出したのは、昨年5月21日の大飯原発3、4号機運転差止請求訴訟の地裁判決でも、関電に差止めを命じた樋口英明裁判長でした。この地裁判決は、関電が控訴したために確定していませんが、判決中で樋口裁判長が示した
原子力発電所の稼動は法的には電気を生み出すための一手段たる経済活動の自由(憲法 22条1項)に属するものであって、憲法上は人格権の中核部分よりも劣位に置かれるべきものである。
原子力発電技術の危険性の本質及びそのもたらす被害の大きさは、福島原発事故を通じて十分に明らかになったといえる。本件訴訟においては、本件原発において、かような事態を招く具体的危険性が万が一でもあるのかが判断の対象とされるべきであり、福島原発事故の後において、この判断を避けることは裁判所に課された最も重要な責務を放棄するに等しいものと考えられる。
という判断は、大変明快で力強いものでした。

 今回の仮決定でも、樋口裁判長は
原子力規制委員会の新規制基準は「緩やかにすぎ、これに適合しても本件原発の安全性は確保されていない」「合理性に欠く」
と明言しています。
 これに対し、原子力規制員会の田中俊一委員長は15日に開いた会見で、「新規制基準は世界一厳しい、海外からもそう評価されている、裁判所の判断は技術面で誤解に基づく部分がある」と述べました。

 樋口裁判長の仮処分決定が、原発は人格権という人が生きる上で最も重要な権利を侵害するもの、という深い洞察から発したものであるのに比べ、田中委員長や官房長官の発言の薄っぺらさには目を覆いたくなります。
 
司法は生きている、と思える判断をくだすことができる裁判長が1人にとどまらないよう、また司法への介入でそうした裁判長が配置換えされることがないようにしたい。それには、脱原発が民意であり、将来の世代に対する責任なのだという声を皆がそれぞれの場で粘り強く上げ続けなくてはなりません。