県外避難を指揮した井戸川・前双葉町長の思い

 

井戸川前町長(中央)、堀切監督(右)

 3月1日、鎌倉生涯学習センターで映画「原発の町を追われて」(堀切さとみ監督)の上映会と井戸川克隆・前双葉町長の講演がありました。

 福島第一原発の5号機、6号機がある双葉町は、3.11直後に全世帯避難勧告を受けました。事故から2週間後、町民の被曝を避けるために県外避難を決断した井戸川町長(当時)は、町民の約2割にあたる1400人を埼玉県加須市の旧騎西高校の校舎に避難させ、町役場機能も同校に移しました。堀切監督の映画は、加須市で避難生活を送る双葉町民のその後の1年間を追った「本編」と、井戸川町長が町議会の不信任決議を受けて辞任に追い込まれる経緯をたどった「続編」からなります。長年にわたって原発と共存する暮らしを送ってきて、事故によりふるさとを去ることを強いられた町民の複雑な思い、県内避難者と県外避難者の立場の違いの深刻化。事故の責任を明らかにさせたい、町民の被曝を何とか避けたい、という町長の願いが押しつぶされてしまったのは何故か…。観る人に率直に問いかけてくる映画でした。

 福島県の首長の中でただひとり町民の県外避難を敢行したのは、町民の内部被ばくを回避するという強い信念に基づいたものであったことが、井戸川さんのお話から伝わってきました。
 
町民の避難が県内と県外に分かれてしまったのは、災害救助法の適用で町民避難の権限をもつことになった福島県が、県内各地に避難した町民の加須市移転に非協力的であったためだとのことです。事故前の双葉町は大変な財政難でした。行政の無駄を省いて改善の方向が見えた矢先の原発事故。「事故さえなければ…」と無念そうに繰り返されていました。

 国が、原発事故の被害、放射性物質による汚染状況の実態を過小に見せかけ、収集に向かっているかのように内外に表明し続けているのは、あまりにも大きな過失です。事故直後、双葉町長は、これは未曽有の事態だ、とにかく町民の命を守らなければならない、と苦渋の決断をしました。国のトップも、未曽有の事態であることはわかったはずです。でも、自らが負う責任の大きさに直面して、「にわかに影響はない」を繰り返して事実を覆い隠す、という選択をしてしまいました。そのことが今、悔やまれてなりません。事故当時に政権の座になく、自らの責任の重さに戦慄を覚えるような経験もしていない現在のトップは、原発を重要電源と位置づけて再稼働を進めるエネルギー基本計画の政府案を先月末に決定させました。