北鎌倉隧道の上部の「危険木」伐採
4月8日付で公文書管理は「主権者は誰か」に関わる問題という記事を載せました。
言い換えると、公文書管理は、行政がどちらを向いて仕事をしているかということに深く関わります。
国であれば主権者である国民、市であれば市民の方を向いて仕事をすべきであるのは言うまでもありません。
広報掲載の市長の謝罪文
公文書管理そのものではありませんが、鎌倉市の行政がどちらを向いて仕事をしているかについて強い違和感を覚えたのが、いささか旧聞に属しますが、広報かまくら3月1日号に掲載された「北鎌倉隧道の安全対策について」と題する松尾崇市長の謝罪文です。
平成27年に決めた隧道の開削方針を28年に仮設トンネル整備に方針転換した際、トンネル部分の地権者であるお寺の承諾を得ることをせずに方針発表を行い、そのことにより地権者・関係者が(周辺住民から?)誤解を受けるなどの迷惑を蒙ったことに対するお詫びです。
地権者に対して方針転換とその後の安全対策の進め方についての説明と協力のお願いを、市長自ら速やかにするべきであったことは確かです。
トンネル部分だけでなく、隣地も含む地権者各位に対してするべきでした。
何故しなかったのか…。
その後の長い膠着状況を振り返ると、残念に思うと同時に憤りを覚えます。
隧道上部の「危険木」伐採
写真は、4月10日に隧道を撮ったものです。
2月末頃、目印とおぼしき紐が結わえつけられているのを目にしました。その後、3月26日から3日間ほどかけて伐採が行われたそうです。
隧道上部に生い茂る樹木や竹の重さと岩盤に伸びた根によって隧道が崩落する危険が高まっているとして、伐採を求める声はかねてからありました。
しかし、市は動こうとしませんでした。
それが、昨年9月に日本トンネル技術協会と締結した「平成29年度 北鎌倉隧道安全対策検討業務委託契約」の委託業務内容の中に、「対策工法の検討」とともに「危険木の伐採計画」が組み込まれていたため、その後の推移に注目してきました。
市民への説明が欠落
地権者の御協力がないと伐採はできないので、伐採を実施する前に市長がこれまでの経緯を振り返って陳謝する必要があったということなのだと思います。
また、「対策工法の検討」を行うに当たって現地調査をするのにも、地権者に了解していただかなくてはなりません。
謝罪文は、そうした経緯の中に位置付けられるのだと考えます。
しかし、それは議会の中で説明を聞いたり情報公開請求で契約文書を入手したりしてようやく「そうなのかな…」と思うのであって、
広報掲載文だけを目にされる市民に対する説明責任は全く果たされていません。
どちらを向いて仕事をしているのか
今回の伐採の範囲で、隧道の状態が全体的に改善されたのかどうかは素人目では判断できません。
それでも、駅のホーム近くまで覆いかぶさるように生い茂っていた樹木、竹、蔓がかなりの部分取り払われたのを実際に目にすると、もっと早期にできなかった理由について、あれやこれやと考えるわけです。
同時に、冒頭で述べた「行政はどちらを向いて仕事をしているのか」という問いかけを発せざるを得ません。
市長の謝罪文の最後は、「一日でも早く通行が再開できるよう取り組んでまいります」と結ばれていますが、「方針転換」から導き出されるのは「一日でも早く安全性の確保と尾根の文化財的価値の保全の両立をはかります」であるはずです。