表現の自由について考える(& アーカイブ)

「表現の不自由展・その後」の中止をめぐって
開催中(8月1日~10月14日)の「あいちトリエンナーレ」で、企画展「表現の不自由展・その後」が中止に追い込まれました。

日本の戦争責任や不当な差別を問う言論や作品等に対し扇動的な攻撃が行われる風潮が強まる中で、表現行為についての考えを深める意図で催された展示が、「騒げば中止」のまたひとつ新たな事例となってしまったことは、あまりにも残念です。

菅官房長官や柴山文科相による、芸術祭への助成見直しの言及は、政府の考えと異なる芸術・表現行為には公的施設の使用や公金助成を認めないと言っているに等しく、大変な問題発言であると思います。
そして、名古屋市長の発言。芸術祭実行委員会・会長代行の河村市長は、「日本国民の心を踏みにじる」と展示の中止を求めました。
本来なら「私は個人的にはこれらの展示は気に食わないが、実行委員会を代表する者の一人として、開催市の市長として、表現の自由と多様性の保障に努める」と表明すべきでした。
大村県知事が「(市長発言は)公権力を行使する市長の立場で表現の内容の是非に言及しており、検閲と取られても仕方ない。憲法違反の疑いが濃厚」と批判したことに、快哉の声が上がったのは当然です。

今回の深刻な事態を教訓として、今以上に「モノが言えない、言いにくい」社会に傾かないように、常に目を見開いていなければならないと強く思います。

 

ヘイトスピーチは表現の自由ではなく、権利の濫用
企画展「表現の不自由展・その後」の中止から1週間以上経ちましたが、波紋は収束どころかますます広がっています。

その中で、8月9日まで川崎市が「(仮称)川崎市差別のない人権尊重のまちづくり条例」素案についてのパブリックコメント(意見公募)を行っていました。
国のヘイトスピーチ解消法(2016年)、や大阪市ヘイトスピーチ抑止条例(同年)には罰則規定がありませんが、川崎市のこの条例案は、公共の場所でのヘイトスピーチ(差別扇動)に罰金刑(50万円以下の罰金)を科すものとなっています。同時に、ヘイトスピーチ以外の表現の規制に濫用されないよう、ヘイトスピーチの定義を国の解消法の定義よりも限定し、かつ慎重な刑事規制の手続きを規定しています。

にもかかわらず、条例案に対し「差別を煽る言動も、表現の自由であり、規制すべきではない」という意見があります。
これについて『ヘイトスビーチとは何か』(岩波新書)の著者の師岡康子弁護士は、「ヘイトスピーチは、相手の人格権や社会の平等な一員として平穏に生活する権利を侵害し、表現の自由の濫用である。表現の自由といっても、侮辱罪、名誉毀損罪、脅迫罪などで規制されているように、相手の人権を傷つけるものまで保障されているわけではない。」と述べており、私は師岡弁護士に賛同する立場です。

前述の名古屋市長は、8月2日に企画展の会場を訪れた後に、企画展への批判や抗議についての記者の質問に、「それこそ表現の自由じゃないですか。自分の思ったことを堂々と言えばいい」と答える一方、中止後の5日の会見では「表現の自由は憲法21条に書いてあるが、何をやってもいいという自由ではなく、一定の制約がある」と述べたそうです。
ヘイトスピーチと同根の攻撃には「表現の自由」と言い、政府の考えとは異なる表現行為には「一定の制約があってしかるべき」というのは、容認できないダブルスタンダードです。

「表現の不自由展・その後」の中止事件が投げかけた表現規制の問題が、川崎市条例への批判に使われるとしたら、全くのお門違い。表現の自由の本質的な部分での意味のすり替えに等しいです。

 

鎌倉市議会が国会と政府に送付した、表現の自由についての意見書の問題
最後に、3年半前に鎌倉市議会において行われた表現の自由についての議論に触れます。

鎌倉市議会は、2016年2月定例会で「国会及び日本政府に対して表現の自由の堅持と保障を求める意見書」の提出についての議会議案を賛成多数で可決しています。http://www.city.kamakura.kanagawa.jp/gikai/documents/h27gikaigian18.pdf

時期的に大阪市でヘイト抑止条例が成立(2016年1月)した直後の出来事です。
長嶋竜弘議員・上畠寛弘議員・中澤克之議員の3人が提出者になって鎌倉市議会に提案した意見書案には、
「現在、自己の主義主張に反する表現に対して安直にも法的規制によって『事前』に抑制しようとする動きが一部に見られるところであるが、前述のように、いかなる表現であっても一義的には保障することが日本国憲法によって採用される理念である」
と書かれているのみで、どのような表現行為が法的規制によって事前に抑制されようとしているのかは明示されていませんでした。

そこで、文面からはわからない意見書案の趣旨を確認する必要性を感じた私は、3人の中で意見書案を取りまとめた上畠寛弘議員に対し本会議の場で質疑を行いました。

同議員は、漫画やアニメにおける非実在の児童・青少年の性(性暴力)描写に法規制をかける動きは検閲にあたり許せないので、表現の自由の堅持と保障を求めたものだと説明していますが、私の問題意識は、「意見書案には、ヘイトスピーチに条例等の規制をかけようとする動きを未然に阻もうとする意図があるのではないか、仮にそうした意図がないとしても、拡大解釈によって同じ結果をもたらすものではないか」ということにありました。

質疑は平行線をたどって延々と続き、形式的には質疑ですが、前期4年間(2013年5月~2017年5月)における最長の議員間討議となりました。
アーカイブ:市議会会議録の抜粋はコチラ↓クリックで拡大。(全12ページ。要点を赤字にしたのは保坂)です。
「表現の自由の堅持と保障を求める意見書」提出議案に対する質疑と討論のサムネイル

後日談ですが、質疑の中で「表現行為によって権利の侵害が生じた場合は事後に司法的な救済がはかられる」と繰り返し述べていた同議員(現在 神戸市議)は、奇しくもその後、市議会での在日韓国人の男性に言及した発言に対し、発言内容の違法性を問う訴訟を提起され、裁判は現在も継続中です。

意見書提出議案は、神奈川ネットの2人(もう1人いたかもしれない)を除く圧倒的多数で可決しました。
確たる信念を持って意見書案を提出した議員については、ある意味諦念を感じましたが、「表現の自由の保障についてのものだから反対できない」というだけの理由で、賛成に回った議員がほとんどであったことには正直がっかりしました。

「表現の不自由展・その後」の中止の経緯や川崎市の条例案をめぐって表現の自由について考える中で、意見書の思惑をめぐって議論を深めようとしたことはやはり間違っていなかったと感じた次第です。