市民活動の表現の自由~市民活動センター条例の改正をめぐって(その2)

市民活動センター条例の「市民活動」の定義を、つながる鎌倉条例の定義と合致させる今回の条例改正に関し、市民活動の支援を目的として設置されている市民活動センターの管理運営において、「政治団体が自らの党勢を拡大するための政治活動」を市民活動の範疇に入れないのは妥当であるし、条例改正以前からそのように運用されてきた―ということを(その1)で述べました。

日本国憲法は、集会の自由表現の自由に含まれるものとし(憲法21条)、これを保障しています。
昨今、市民による政治問題の提起や追及、政策的課題の探求や周知などの活動を「政治的」だとして行政が表現の場(集会の会場)の提供を拒むなどの事案が後を絶たないのは、危惧すべきことです。1月末の「群馬の森」での朝鮮人労働者追悼碑撤去事件は、歴史の封殺であると同時に表現の自由の侵害という点においても、まさに行政による暴挙です。
市民活動センター条例改正の内容は、表現(集会)の自由の保障の問題とは別の文脈だと考えますが、本稿(その2)では、市が保有する施設における表現の自由について、整理を試みたいと思います。

生涯学習センターの場合は?
まず、市民に会議室を貸出す機能を有する点で市民活動センターと共通している生涯学習センターについて触れておきます。

生涯学習センターも、施設利用には生涯学習センターの指定管理者に登録申請をして登録団体にならなければなりません。
生涯学習センター条例施行規則にある登録決定の要件は、「当該申請をした者が市内に住所を有し、又は通勤し、若しくは通学している者を含む5名以上の団体である場合」だけですが、施設利用基準では、施設の利用目的外である ①営利を目的とした活動 ②特定の政党を支持する活動 ③宗教の布教活動 を行う場合は利用ができないとされています。
  annai_riyo_kijyun.pdf (kirara-kamakura-city.jp)
但し、「利用できる場合」も記されており(要は、生涯学習の目的ならOK)、②については、「政治的教養の向上を図るための学習機会として実施する場合(例:政策勉強会、講演会、議会報告会など)」は、施設を借りることができます。

判例によって確立されたパブリック・フォーラムの法理
パブリック・フォーラムとは「公共の広場」のことで、「パブリック・フォーラムでは、集会の自由(表現の自由)に可能な限り配慮する必要がある」とする法理論は、米国の判例などを通して確立されました。

パブリック・フォーラムに位置づけられる場所で行われる表現活動を規制しようとする場合の規制の合憲性は、「より厳格な基準」によって判断されるべきものとされています。簡単に言うと、パブリック・フォーラムでの集会開催などの表現活動は、憲法に照らし、むやみに規制してはいけない、ということです。

パブリック・フォーラムは次の2つに分類されます。
純然たる公共の広場(伝統的パブリック・フォーラム)
…伝統的に表現活動と結びついている公共用物 ➡ 公園、道路、歩道など
指定された広場(指定的パブリック・フォーラム)
…国や地方公共団体が公衆の表現活動の場として利用に供してきた公共的場所 ➡ 公会堂、公立ホール、公立学校の講堂など

言うまでもなく、生涯学習センターや市民活動センターは指定的パブリック・フォーラムです。公の施設等はそれぞれ本来の目的がありますが、その一方で、集会等で表現をする場所としての役割を担っていると考えられています。

付け加えると、「群馬の森」追悼碑撤去は、追悼式で参加者が「強制連行」と語ったことが政治的発言に当たるとして県が碑の設置許可の更新を認めなかったことに起因します。表現の自由を規制する国や地方公共団体の権限が厳しく規制され、市民が自由にものを言えるはずの伝統的パブリック・フォーラムである「群馬の森」という公園における発言を問題視したこと自体が、まさに暴挙たる所以です。

 

ピースパレードに対する市庁舎前庭使用不許可処分を振り返る
2018年6月と9月に2回実施された鎌倉ピースパレードの集合場所として、主催団体が市庁舎前庭の使用を求める庁舎内行為許可申請をしたところ、「9条改憲NO!」を掲げる団体であることをもって「特定の思想信条の普及を目的とする行為」(「鎌倉市市庁舎管理規則」第10条に定める許可行為の審査に関する「審査基準」第3条3項)に該当するとされて、不許可処分になりました。(審査基準では「特定の思想、政治的信条、宗教の普及を目的とする行為」と規定。不許可処分の通知書の「特定の思想信条」という記載は誤記。)

これを受けて団体が提起した審査請求に対して、処分庁(鎌倉市長)は、2019年9月に「審査請求を却下する」という裁決をくだしました。その理由は、一言で述べれば「審査請求人は庁舎内行為(デモのための集合)不許可処分の取り消しを求めているが、ピースパレードの実施日は既に経過していて、請求の利益はない(取り消しの法的利益は認められない)から却下する」というものでした。

審査請求を受けて審理員が示した重要な意見
審査請求は却下されましたが、審査庁から指名されて審理にあたった審理員(弁護士)による意見書には「特定の思想・政治・宗教的な要素が含まれていたとしても、その一要素の認定だけで不許可とすることは許されないと解される」として「前庭不許可処分が違法と考える次第である」という重要な付言がありました。

市から見解を求められた市の複数の顧問弁護士からも、「庁舎内行為許可申請に対しては、庁舎における秩序の維持や管理の妨げとなるものかどうかで判断すべきであり、政治的主張内容を持つ行為ということで即不許可というものではない」という見解が示されました。

鎌倉市は、こうした弁護士意見(審理員を含む)を踏まえて庁舎管理規則(第10条 行為の承認等)などの改正を行っています。

パブリック・フォーラムの法理から見た市庁舎前庭における表現活動
生涯学習センターや市民活動センターは、地方公共団体が住民の福祉増進の目的でその利用に供するために設ける施設、すなわち地方自治法244条1項の公の施設(公共施設)ですが、市庁舎は、地方公共団体が事務事業を行うための公用物です。

公の施設が「指定的パブリリック・フォーラム」に位置づけられるのに対し、公用物である市庁舎を指定的パブリックフォーラムだと主張するのは、判例(金沢市役所前広場使用不許可に対する国賠訴訟 平成28年2月5日金沢地裁判決)からして難しいと考えるのが一般的です(庁舎前広場をパブリック・フォーラムだとする考え方については後述)。
ちなみに、上記の鎌倉市の顧問弁護士の見解中の下線部分は、この国賠訴訟の判決を引用したものと思われます。

では、公用物である市庁舎の敷地内の前庭における表現活動を施設管理者が許可する・しないの判断については、どう考えるべきか、ということですが、金沢地裁 平成28年2月5日判決について論じた判例解説には次のようなことが書かれています。

パブリック・フォーラム論には、
指定パブリック・フォーラムであるか否かの基準を、行政府が当該財産を表現活動に広く開放する意図を有していたかのかどうか、またはどのような表現活動に充てる意図を有していたのかという点に求める米国判例型の類型 もあれば 、
一般の公衆が自由に出入りできる場所を表現のための場所として役立つパブリック・フォーラムと捉え、そのパブリック・フォーラムにおいて表現活動がなされる場合は、所有権や管理権に基づく制約を受けざるを得ないとしても、「表現の自由」と「当該場所の所有権・管理権・その他利用者の利益」との衡量の際には、表現の自由への配慮が要求されるとする類型もある。金沢地裁判決は前者の特徴を持つ。

金沢市役所庁舎前広場は、一般公衆が自由に出入りでき、かつ、市の政策に関する意見の表明等にとって有利な場所であるので、(公用施設であっても)パブリック・フォーラムたる性質を持つ。
そうであるなら、その場所での表現活動に対する規制については、表現の自由を可能な限り考慮しつつ、その表現活動が保障される価値と、それを規制することによって確保できる他の利益とを具体的状況のもとで比較衡量して、許容性が判断される。許可することによって失われる利益(市の事務または業務の執行の確保に支障をきたすこと)が論理的に導き出されず推論に基づくものに過ぎなければ、配慮の度合いは表現の自由の側に大きく傾く。

鎌倉市の市庁舎前庭使用不許可処分問題に話を戻すと、前庭不許可処分を違法とした審理員の付言は、上記の下線部分の考え方を踏まえて違法としたものだと思われます。
また、審査請求に対する裁決があった後の2019年12月定例会の一般質問で竹田ゆかり議員が「庁舎内行為許可に係る審査基準」の見直しを迫った折の市長答弁は、上記青字部分の比較衡量の考え方に言及したもののようです。

広場の集会の自由―宇賀裁判官の最高裁少数意見
金沢市役所前広場での集会開催不許可処分に対する上述の訴訟は、2017年8月に最高裁が上告を棄却して終結していますが、同年、同じ場所での護憲集会を市が再び不許可としたことを受けた損害賠償請求訴訟が新たに提起されています。
この訴訟も、1・2審で市民団体の訴えは退けられ、最高裁第三小法廷が2023年2月21日に上告棄却の判決を下しました。

市民団体は、広場が集会などに長年使われたとして公民館などと同様の「公の施設」と主張しましたが、判決は、広場は庁舎の一部で「一体的に管理、利用されている」と指摘、「公の施設」とは言えないから、許可するかどうかは市の裁量にゆだねられるという理屈を示しました。
裁判官5人中4人の多数意見で「政治的対立がみられる論点で集会が開催されれば、市の政治的中立性に疑義が生じ、ひいては公務の円滑な遂行が確保されなくなる」として、不許可処分は違憲ではないと結論づけました。

一方、学識出身で著名な宇賀克也裁判官は多数意見に強く反対する意見を付しました。「広場は公の施設かそれに準ずると考えるべきで、不許可処分に正当な理由がなく違法」と指摘。「庁舎として規則が適用されるとしても、広場は実態としてパブリック・フォーラム(公共の言論の場)であり、集会で発言される可能性がある内容を理由に不許可にすることは言論の自由の事前抑制になる」と付言しました。

最高裁が庁舎管理権と集会の自由をめぐって初めてくだした判断で、この少数意見が付されたことは大きい意味を持つと思います。

管理規則が適用される場所であっても、市の事務または業務の執行の確保に支障をきたさない範囲で市民の表現の場としての利用が繰り返されれば、パブリック・フォーラムの実態を呈するようになり、規制することによって確保できる他の利益との比較衡量において、表現の自由の価値の比重が大きくなるという考えは、鎌倉市庁舎前庭不許可事件の審査請求に対する裁決の3年越しの「伏線回収」であるとも言えそうです。
さらに言えば、鎌倉市が深沢に計画している新庁舎では、パブリック・フォーラムの実態を備えた屋外スペースが確保されることを期待します。

「行政の中立」を都合よい理由にしてはいけない
とは言え、この最高裁判決が、金沢市が憲法の集会を認めなかった理由として「市の政治的中立性」をあげたことを多数意見において是認したのは極めて憂慮すべきことです。驚くというよりも、「またもや行政の中立性ですか…!」という嘆息。

1つには、「意見の対立がある論点に関し自治体は中立性を保つとは、果たしてどういうことなのか?」ということです。
さいたま市では、憲法9条に関する俳句を公民館だよりに掲載することを市が拒否して裁判になりました。最高裁による市の上告棄却で確定した2審判決は「行政の公平性・公正性を害するとのさいたま市の主張に対して、意見の対立があることを理由に排除することは、(意見を含まない学習成果の発表行為との比較において)不公正な取り扱いとして許されない」と述べています。
意見の対立がある論点については、どちらか一方に肩入れしない、あるいは肩入れしているように見られないようにするということで中立性を維持するのではなく、多様な思想良心・信条を持つ人々を差別なく扱うことで、中立性を維持するのですよ、と言っている判決だと思います。

もう1つには、今述べた「差別なく扱う」とは少しずれるのですが、「政治的・社会問題に関し異なる意見が存在する場合、その異なる意見というのを、あらゆるケースで相対化するのはおかしくないか?」ということです。

例えば、ジェンダー平等。「男性の方が不利益を受けていると感じている男性」や「男女格差を容認する層」が社会に一定の割合でいて、一方でジェンダー平等の実現を目指そうといういう人たちがいる。この両方を相対化して捉えて、ジェンダー平等の実現を目指す市民の取り組みに対し自治体が表現(集会)の場所を貸したり、周知・啓発活動の機会の提供(ビラの配架など)をしたりすることを行政の中立性を揺るがせる問題だと言うでしょうか。言わないと思います。ジェンダー平等は社会全体として目指すべきことだという共通認識は、確立の度合いが高いからです。

何故このことを付け足したのかというと、9条俳句不掲載事件がそうであったように、昨今、行政が憲法(護憲)をめぐって消極的な態度を強めているからです。
憲法を貫く平和精神は日本社会の普遍的な価値観であり、共通認識です。それが、改憲を目指す人たちの存在によって相対化されていると解釈し、平和憲法を守ろうという表現活動に対して行政が委縮した対応をとる(表現の自由の保障に後ろ向きになる)ことは不当です。不当な傾向を増長させないよう、表現の自由をめぐる様々な局面で目を光らせていなければならないと思います。